沖縄土産の定番! 色鮮やかな「琉球ガラス」の知られざる世界

沖縄のお土産屋さんで、「琉球ガラス(琉球硝子)」を見かけたことはありませんか?

グラスや花瓶、皿、鉢、アクセサリーなど、その種類は多岐に渡り、それでいて価格も手頃なものが多いこともあり、沖縄のお土産としても人気の工芸品です。

でも、「琉球ガラスのことが気にはなっているけれど、普通のガラス細工とは何が違うの?」と思っている人もいるのではないでしょうか。

この記事では、

  • そもそも琉球ガラスって何?
  • 他のガラス細工とはどう違うの?

という質問に答えていきたいと思います。

戦後占領期、復帰後の観光ブームで育まれた琉球ガラス

琉球ガラスを一言で表すなら、沖縄で販売されている吹きガラスのことです。

「吹きガラス」というのは穴のあいた吹き竿の先端に溶けたガラスを巻き取り、内側に息を吹き込んで膨らませながら作っていくガラス細工のことで、琉球ガラスは主に「吹きガラス」「型吹きガラス」の二種類に分かれます。

  • 吹きガラス……「宙吹きガラス」とも。空中で竿に息を吹き込みながら成型する。
  • 型吹きガラス……吹き竿につけたガラス玉を型に差し込んだ状態で息を吹き込んで成型する。
琉球ガラス

独特の色合いや雰囲気を持つ琉球ガラス

日本のガラス工芸品の歴史は古く、弥生時代には始まっていたと言われています。
※ちなみに、日本最古のガラスは縄文時代末期の亀ヶ岡遺跡(青森県)から出土しています。

このガラス工芸の歴史は平安時代に一度途切れてしまうものの、16世紀にキリスト教とともに伝来したガラス製品は再び普及していくようになり、17世紀にはガラス製造に取り組む職人も出てきたようです。

一方、琉球ガラスの歴史は意外と浅く、明治中期ごろにガラス製造の技術が伝わり、戦後占領期や復帰後の沖縄ブームを経て現在のような姿になっていったと言われています。

琉球ガラスは主に廃瓶を砕いて再溶解することで製造された

琉球ガラスの特徴の一つはその鮮やかさと気泡。これにはその歴史が影響しています。

沖縄でのガラス製造自体は戦前から行われていましたが、現在の姿につながるのは戦後の話。
太平洋戦争で甚大な被害を受けた沖縄は、米軍に占領されることとなりました。

このとき、米軍の捨てたコカ・コーラの瓶がガラスの製造に再利用されたのです。
その後、1950年代中頃からコカコーラ瓶(薄青色)、セブンアップ瓶(緑色)、ビール瓶(茶色)をもとに色のついた琉球ガラス製品が製造されるようになっていきます。

とはいえ、このときはまだ瓶の色をそのまま使い、着色する際も簡単な着色をしたにすぎません。
現在のように赤や黄色といった様々な色が用いられるようになるまではもう少し時間が必要でした。

沖縄の本土復帰後、琉球ガラスも変化を遂げる

琉球ガラスが現在のように多彩な色使いをするようになった背景には、沖縄の本土復帰という出来事がありました。

戦後しばらくの間、米軍・アメリカの占領統治下にあった沖縄ですが、1972年5月15日、沖縄は日本に返還されます。

沖縄が本土復帰を遂げたことで、本土から染料を仕入れることが可能となったり、ガラスの原料を仕入れることが可能になったりしたことにより、現在のような多彩な色使いの琉球ガラスが製造されるようになっていきます。

薄青だけでなく黄色や赤みを帯びた琉球ガラスも

薄青だけでなく黄色や赤みを帯びた琉球ガラスも

また、沖縄の本土復帰は本土から来沖する観光客の増加につながりました。
そうした観光客のニーズに合わせ、ガラスのデザインも変化していくことになったのです。

「沖縄」と聞いて何をイメージしますか?
青い海、青い空、美しいサンセット、ハイビスカス……

その答えはいろいろあるでしょうが、こうした「観光客」の考える沖縄のイメージに合わせて、琉球ガラスも形作られてきました。たとえば、鮮やかな青い琉球ガラス。これは”沖縄といえば「青い海」「青い空」”という沖縄のイメージを持った観光客の存在によって確固たる地位を築いたものだといえるでしょう。

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